ヨコの日記

大学生のアウトプット用の日記です。

秩父旅行 2

《2日目》

日本の祖がまつられていると言われる1900年前に建てられた「三峯神社」に行きました。

片道、バスで1時間半でしたが、とても景色が綺麗で良かったです。f:id:awechang:20201111232847j:image
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この旅では、【忠実に従う名言】 を決めた

 

思ったことや考えたことを口にするな。事実だけを黙々と提示し続ければそれでいい。

              菊池巨一

「見たもの、感じたもの、思ったものを言わない、表出しない、顔に出さない。ただ、事実を姿で示す」ことを考えて、旅をする。

 

この2つの名言を主に従った。

 

荷物を最低限にするため、ユニクロの長袖Tシャツで行った。秩父は14℃ぐらいで寒かったが、一度も「寒い」と言わないようにした。

私は、とても馬鹿馬鹿しくて、痛く、とんがることがカッコいいと思っている、とんだ大馬鹿やろうである。

 

なぜそこまでしたかと言うと、そこまでしないと、「見たもの、感じたもの、思ったものを言ってしまう」と思って、自分に精神的物理的馬鹿馬鹿しい負荷をわざとかけた。

 

結果、浅はかな感情の表出を言葉にせず、無駄なことは言わなかった。いかによく自分の主観で話していて、その主観を相手に押し付けていることがわかった。そして、客観的に会話をすることの楽しさを初めて意識して感じられた。

 

 

今家にいて、主観的見方に戻ってしまっている。なんでも、いいので、馬鹿馬鹿しい重りとなるものを探して、客観的に過ごしたい。

秩父旅行

一泊二日の秩父旅行に行った

 

《一日目》

荷物は最低限にした。

スマホ、財布、マスク、下着(パンツと靴下)、充電コード、薄く小さくなるジャンバー

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9時に家を出て、13時前に西武秩父駅に着いた

池袋で乗り換えて、秩父号という有料電車で行ったf:id:awechang:20201110211538j:image

 

カフェでカレーとこだわりコヒーをいただいて、駅からほど近い秩父神社を参拝し、長瀞でライン下り体験をしf:id:awechang:20201110211753j:image
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素敵なママが一人で切り盛りする焼肉屋で夜ご飯を食べた。お通しの切り干し大根が最高だった

 

 

 

この旅行で意識してみたことがあった。

 

前に、友人に「ビジネス書」に書いてあることを全て実践して、本当に成功できるのか試しみようと言われた。

そのビジネス書には、「自分が決めたことを毎日欠かさずやる」と書いてあった。(このブログをその一環である。)

ただ、「自分で決めたことを毎日欠かさずやること」が私には少しハードであった。

 

そのため、この旅行の間だけでも、「自分でやると決めたことをやること」にした。

 

この二日間、偉人が言っている「名言」を忠実に従うことにした。   

 

【忠実に行為する名言】 

思ったことや考えたことを口にするな。事実だけを黙々と提示し続ければそれでいい。

              ―――菊地臣一

あなたが自分にどのように接するかによって、他人はどのようにあなたに接するかを決めろ。

          ―――サネヤ・ロウマン

おまえの心を明るく楽しくしようと思うならば、ともにくらす人びとの長所を思え。

       ―――マルクス・アウレリウス

他人がどうであろうと自分さえ、ちゃんとしていればいい。するだけのことをすればいい。

           ―――武者小路実篤

それらの名言を簡単にまとめると、

「見たもの、感じたもの、思ったものを言わない、表出しない、顔に出さない。ただ、事実を姿で示す」ことを考えて、旅をする。



 

輿論と世論

炎上」というSNS上の言葉をよく聞く。

SNS上で「炎上」したニュースをテレビでも見る。

社会学者の宮台真司氏は、「炎上」が起こるのは、「人々の「感情の劣化」を表れ」と言う。

 

炎上させる人は、

自分は「文句」をいっているのではなく、

「意見」を言っている・「表現の自由だ」と主張する。

 

・宮台氏の考えによれば、それは違う。

炎上させる人は、表現ではなく表出であると言う。

(オリジナルニュースから)

『説明すると、「表現」と「表出」の違い。

表現は、相手に伝える営み

表出は、自分の恵まれない状況故に、自分がスッキリする営み

 

表現はexpression。表出はexplosion。

ネットが表現と表出を区別できないクズを蔓延させるだろう』と語る(https://originalnews.nico/81751/3 から一部省略)  

つまり、

 

《炎上者は「意見」と言いながら、

自分が気持ち良くなるために、表出してる。》

 

 

以前、本を読んでいたら、

よろん」(輿論せろん」(世論

意味の違いが紹介されていた。

今は同じ意味として使われてるが、昔はきちんと区別されていた。

 

輿論は、公的意見=世間の空気

公衆の社会的意識が組織化したもの表現

・世論は、認識の対象になっていない心理状態つまり、気分、雰囲気の表出

      (佐藤卓也「輿論と世論」から)

 

これにも表出が出てくる。

よろん(世論)=表出となる。

 

気分でものを言わないように、

せろん(輿論よろん(世論)、表出表現の使い分けが、大切である。

    

 

 

 

 

はみがき

月に1回歯医者に通っている。       

8月の中頃、歯磨きをすると、あちこちの歯の表面に痛みを感じはじめた。知覚過敏の症状もあった。

 

歯医者の思い出は、

幼稚園の頃、乳歯に虫歯ができて、一時期とてもお世話になった。すごく痛かった思い出がある。

それ以降、十分すぎるほど気を付けて、歯磨きをしてきた。

 

1時間ほど診察を終えて、

先生に、歯の磨き過ぎで、歯周病になっていると言われた。

10年以上散りに積もった本末転倒であった。

 

脆くなってしまってる歯を、コーティングして強くするため、月に1度の定期的検診が必要と言われた。歯磨きのやり方も教えて頂いた。

 

10年以上続けてきた歯磨き癖を治すのが、とても難しい。ついつい力強くやってしまう。

 

意識的に歯磨きの時間を設定して、最近、一生懸命、歯磨きをしています。

 

海外では、

虫歯にならないように定期的に歯医者に行くのが基本で、

日本のように、歯が痛くなったら行くというのは、珍しいと先生が教えてくれた。

 

納得です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

14歳 2 【周りの目】

1つ前のブログで14歳」を題名に加える本が多いと紹介した。

 

自分の経験上、ましては心理学・人間形成学など学問的にも、14歳アイデンティティ形成にとても大切な時期である。

 

これから、自分自身の話になるが、     14歳だった当時の自分が、中学校の中で生きるために、その場限りで決めた生き方を今も続けているように感じる。(自分が成長していないだけかもしれないが) 

 

 

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《※ここから目的論的な考え方ではなく、原因論的な考え方に偏ります。》

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私の中学校は、周りの中学校と比べて、少し荒れている学校で特に酷い学年だった。(今思い返すとそんなに悪い奴はいなかった)

 

そんな学校のため、私は、【クラスでイジメられないようにすること】が第一優先であった。イジメられて学校に来れなくなる=死であると考えていた。

 

背も低く、力もなく、三軍とか呼ばれる卓球部の私は、波風を立てず、みんなの意見は自分の意見で、みんなから凄く好かれはしないが、優しくて絶対に嫌われないキャラを振る舞ってきた。

 

特に、自分の全ての言動を【周りの目】を基準にして振る舞ってきた

詳しく言えば、             【もし、コレをしたら / 言ったら、イジメるかイジメられないか】を基準として、常にそのことだけを考えきた。

 

 

そうすることだけが、その当時、自分が知っている世界で、生きるための最善のやり方であった。

 

中学時代=アイデンティティの形成に大切な期間、常にそのことだけを考えて、第一優先に生きてきた。

 

だから、(とても原因論的であるが)

中学卒業から4年過ぎた今も他人の顔色を見ながら、自分の意見を言えず、コミュニケーションを取っている現状である。

高校時代も、自分は、そうゆう人間であると認識し、そうゆう人間から抜け出せない自分を嫌っていて、自己否定ばっかりしていた。

 

周りの目】が揺らぐことない絶対的価値】として、自分の中で中学校時代に成立したと言える。中学校の中で、その場限りとして、決めた生き方が、自己のアイデンティティの根幹をなすものなった。

大学生の今、そこから抜け出せず、自分はどこにでもいる奴になった。

 

やはり、14歳のアイデンティティの形成時期は、中学という狭い世界だけを見るのではなく、広い世界に目を向け、色んなことを考えるべきである。

14歳がテーマの本が多いわけである。

 

 

 

 

 

【なぜ、14歳がテーマの本が多いか】と考えるまで、こんなことを考えたことがなかった。

この考え方は、正しいか正しくないかは分からない。

目的論の考えのアドラーから言わせれば、変わりたくない今の現状に対する言い訳と一蹴される。

アドラーの目的論

https://awechang.hatenablog.com/entry/2020/11/03/225840

ただ、このことを、今の自分が出来たあがった1つの仮説と認識することは、自己否定を弱め、今の自分を変える糧になるのではないかと考えている。

 

目的論的に今の自分の現状と戦いながら、たまに原因論的にも自分を見ることも一理あると思った。

 

 

 

 

14歳

宮台真司さんの「14歳からの社会学」の本を図書館で借りた。

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14歳=中学1・2年生で思春期の真っ只中である

Google検索エンジンで、[ 14歳 本  ]と検索すると、題名が「14歳の君」や「14歳からの〇〇」など、14歳の子に向けた本が様々ある。


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14歳は、アイデンティティが確立する時期であり、中学校に入学し学力も伸びて、様々な情報を自らの手で得ることが可能になる刺激が強い年齢である。

14歳など中学生の時、関心を抱いていたものや何か確信したことが、今の自分の根源となす重要な時期である。

 

なぜ14歳なのか考察してみたい。

怒らないこと

「怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 」著 アルボムッレ·スマナサーラの序章を読んで

 

この本では、怒ることがいかに「バカ」であるかを仏教的な解釈を通して、書かれています。

 

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自分が怒っているかどうか確かめるには、「今楽しいか、楽しくないか」を自問自答するだけで分かる。

 

「べつに楽しくはない」「何かつまらない」と感じるなら、そのときは心のどこかに怒りの感情があることを示している。

だから、

怒り。を脳で感じるのではなく、「自分の心に生まれる感情として読みとる」ことが大切。

 

人は、怒らない方がいいと分かっているのに怒るのは、「自分が一番正しい」と心の中で思っているから。そのため、「相手が正しい」と思ったら、誰も怒らない。

 

怒らないためには、「私は間違いだらけ」だとわかると怒らない。

 

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〈感想〉

「自分こそ正しい」「自分こそ幸せになる」「自分は〇〇君より〇〇が優れている」という思うのは、屯馬である。

『「私は間違いだらけ」だとわかると怒らない』とあるが、完璧にそんなことできるのか疑問に思った。疑問解消のためにも、先を読んでいきたい。

 

 

 

 

 

《「ゴキブリは気持悪い」のは自分のせい》という面白い章もあるので、ぜひ見てください!

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