秩父旅行 2
《2日目》
日本の祖がまつられていると言われる1900年前に建てられた「三峯神社」に行きました。
片道、バスで1時間半でしたが、とても景色が綺麗で良かったです。
この旅では、【忠実に従う名言】 を決めた
思ったことや考えたことを口にするな。事実だけを黙々と提示し続ければそれでいい。
菊池巨一
「見たもの、感じたもの、思ったものを言わない、表出しない、顔に出さない。ただ、事実を姿で示す」ことを考えて、旅をする。
この2つの名言を主に従った。
荷物を最低限にするため、ユニクロの長袖Tシャツで行った。秩父は14℃ぐらいで寒かったが、一度も「寒い」と言わないようにした。
私は、とても馬鹿馬鹿しくて、痛く、とんがることがカッコいいと思っている、とんだ大馬鹿やろうである。
なぜそこまでしたかと言うと、そこまでしないと、「見たもの、感じたもの、思ったものを言ってしまう」と思って、自分に精神的物理的馬鹿馬鹿しい負荷をわざとかけた。
結果、浅はかな感情の表出を言葉にせず、無駄なことは言わなかった。いかによく自分の主観で話していて、その主観を相手に押し付けていることがわかった。そして、客観的に会話をすることの楽しさを初めて意識して感じられた。
今家にいて、主観的見方に戻ってしまっている。なんでも、いいので、馬鹿馬鹿しい重りとなるものを探して、客観的に過ごしたい。
秩父旅行
一泊二日の秩父旅行に行った
《一日目》
荷物は最低限にした。
スマホ、財布、マスク、下着(パンツと靴下)、充電コード、薄く小さくなるジャンバー
9時に家を出て、13時前に西武秩父駅に着いた
池袋で乗り換えて、秩父号という有料電車で行った
カフェでカレーとこだわりコヒーをいただいて、駅からほど近い秩父神社を参拝し、長瀞でライン下り体験をした
素敵なママが一人で切り盛りする焼肉屋で夜ご飯を食べた。お通しの切り干し大根が最高だった
この旅行で意識してみたことがあった。
前に、友人に「ビジネス書」に書いてあることを全て実践して、本当に成功できるのか試しみようと言われた。
そのビジネス書には、「自分が決めたことを毎日欠かさずやる」と書いてあった。(このブログをその一環である。)
ただ、「自分で決めたことを毎日欠かさずやること」が私には少しハードであった。
そのため、この旅行の間だけでも、「自分でやると決めたことをやること」にした。
この二日間、偉人が言っている「名言」を忠実に従うことにした。
【忠実に行為する名言】
思ったことや考えたことを口にするな。事実だけを黙々と提示し続ければそれでいい。
―――菊地臣一
あなたが自分にどのように接するかによって、他人はどのようにあなたに接するかを決めろ。
―――サネヤ・ロウマン
おまえの心を明るく楽しくしようと思うならば、ともにくらす人びとの長所を思え。
―――マルクス・アウレリウス
他人がどうであろうと自分さえ、ちゃんとしていればいい。するだけのことをすればいい。
―――武者小路実篤
それらの名言を簡単にまとめると、
「見たもの、感じたもの、思ったものを言わない、表出しない、顔に出さない。ただ、事実を姿で示す」ことを考えて、旅をする。
輿論と世論
「炎上」というSNS上の言葉をよく聞く。
SNS上で「炎上」したニュースをテレビでも見る。
社会学者の宮台真司氏は、「炎上」が起こるのは、「人々の「感情の劣化」を表れ」と言う。
炎上させる人は、
自分は「文句」をいっているのではなく、
「意見」を言っている・「表現の自由だ」と主張する。
・宮台氏の考えによれば、それは違う。
炎上させる人は、表現ではなく表出であると言う。
(オリジナルニュースから)
『説明すると、「表現」と「表出」の違い。
表現は、相手に伝える営み。
表出は、自分の恵まれない状況故に、自分がスッキリする営み。
表現はexpression。表出はexplosion。
ネットが表現と表出を区別できないクズを蔓延させるだろう』と語る(https://originalnews.nico/81751/3 から一部省略)
↓
つまり、
《炎上者は「意見」と言いながら、
自分が気持ち良くなるために、表出してる。》
以前、本を読んでいたら、
「よろん」(輿論)と「せろん」(世論)
の意味の違いが紹介されていた。
今は同じ意味として使われてるが、昔はきちんと区別されていた。
・輿論は、公的意見=世間の空気、
公衆の社会的意識が組織化したもの=表現
・世論は、認識の対象になっていない心理状態、つまり、気分、雰囲気の表出
これにも表出が出てくる。
よろん(世論)=表出となる。
気分でものを言わないように、
せろん(輿論)とよろん(世論)、表出と表現の使い分けが、大切である。
はみがき
月に1回歯医者に通っている。
8月の中頃、歯磨きをすると、あちこちの歯の表面に痛みを感じはじめた。知覚過敏の症状もあった。
歯医者の思い出は、
幼稚園の頃、乳歯に虫歯ができて、一時期とてもお世話になった。すごく痛かった思い出がある。
それ以降、十分すぎるほど気を付けて、歯磨きをしてきた。
1時間ほど診察を終えて、
先生に、歯の磨き過ぎで、歯周病になっていると言われた。
10年以上散りに積もった本末転倒であった。
脆くなってしまってる歯を、コーティングして強くするため、月に1度の定期的検診が必要と言われた。歯磨きのやり方も教えて頂いた。
10年以上続けてきた歯磨き癖を治すのが、とても難しい。ついつい力強くやってしまう。
意識的に歯磨きの時間を設定して、最近、一生懸命、歯磨きをしています。
海外では、
虫歯にならないように定期的に歯医者に行くのが基本で、
日本のように、歯が痛くなったら行くというのは、珍しいと先生が教えてくれた。
納得です。
14歳 2 【周りの目】
1つ前のブログで「14歳」を題名に加える本が多いと紹介した。
自分の経験上、ましては心理学・人間形成学など学問的にも、14歳はアイデンティティ形成にとても大切な時期である。
これから、自分自身の話になるが、 14歳だった当時の自分が、中学校の中で生きるために、その場限りで決めた生き方を今も続けているように感じる。(自分が成長していないだけかもしれないが)
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《※ここから目的論的な考え方ではなく、原因論的な考え方に偏ります。》
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私の中学校は、周りの中学校と比べて、少し荒れている学校で特に酷い学年だった。(今思い返すとそんなに悪い奴はいなかった)
そんな学校のため、私は、【クラスでイジメられないようにすること】が第一優先であった。イジメられて学校に来れなくなる=死であると考えていた。
背も低く、力もなく、三軍とか呼ばれる卓球部の私は、波風を立てず、みんなの意見は自分の意見で、みんなから凄く好かれはしないが、優しくて絶対に嫌われないキャラを振る舞ってきた。
特に、自分の全ての言動を【周りの目】を基準にして振る舞ってきた。
詳しく言えば、 【もし、コレをしたら / 言ったら、イジメるかイジメられないか】を基準として、常にそのことだけを考えきた。
そうすることだけが、その当時、自分が知っている世界で、生きるための最善のやり方であった。
中学時代=アイデンティティの形成に大切な期間、常にそのことだけを考えて、第一優先に生きてきた。
だから、(とても原因論的であるが)
中学卒業から4年過ぎた今も他人の顔色を見ながら、自分の意見を言えず、コミュニケーションを取っている現状である。
高校時代も、自分は、そうゆう人間であると認識し、そうゆう人間から抜け出せない自分を嫌っていて、自己否定ばっかりしていた。
【周りの目】が揺らぐことない【絶対的価値】として、自分の中で中学校時代に成立したと言える。中学校の中で、その場限りとして、決めた生き方が、自己のアイデンティティの根幹をなすものなった。
大学生の今、そこから抜け出せず、自分はどこにでもいる奴になった。
やはり、14歳のアイデンティティの形成時期は、中学という狭い世界だけを見るのではなく、広い世界に目を向け、色んなことを考えるべきである。
14歳がテーマの本が多いわけである。
【なぜ、14歳がテーマの本が多いか】と考えるまで、こんなことを考えたことがなかった。
この考え方は、正しいか正しくないかは分からない。
目的論の考えのアドラーから言わせれば、変わりたくない今の現状に対する言い訳と一蹴される。
↓アドラーの目的論
https://awechang.hatenablog.com/entry/2020/11/03/225840
ただ、このことを、今の自分が出来たあがった1つの仮説と認識することは、自己否定を弱め、今の自分を変える糧になるのではないかと考えている。
目的論的に今の自分の現状と戦いながら、たまに原因論的にも自分を見ることも一理あると思った。
怒らないこと
「怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 」著 アルボムッレ·スマナサーラの序章を読んで
この本では、怒ることがいかに「バカ」であるかを仏教的な解釈を通して、書かれています。
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自分が怒っているかどうか確かめるには、「今楽しいか、楽しくないか」を自問自答するだけで分かる。
「べつに楽しくはない」「何かつまらない」と感じるなら、そのときは心のどこかに怒りの感情があることを示している。
だから、
怒り。を脳で感じるのではなく、「自分の心に生まれる感情として読みとる」ことが大切。
人は、怒らない方がいいと分かっているのに怒るのは、「自分が一番正しい」と心の中で思っているから。そのため、「相手が正しい」と思ったら、誰も怒らない。
怒らないためには、「私は間違いだらけ」だとわかると怒らない。
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〈感想〉
「自分こそ正しい」「自分こそ幸せになる」「自分は〇〇君より〇〇が優れている」という思うのは、屯馬である。
『「私は間違いだらけ」だとわかると怒らない』とあるが、完璧にそんなことできるのか疑問に思った。疑問解消のためにも、先を読んでいきたい。
《「ゴキブリは気持悪い」のは自分のせい》という面白い章もあるので、ぜひ見てください!
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