ヨコの日記

大学生のアウトプット用の日記です。

隠された目的

日用品雑貨を扱う少し大きな店舗でアルバイトとして1年ほど働いている。

主に品出しや接客の業務を行っている。

店員は全員無線機をつけている。

私がシフトが入っている17時以降は、お客様さんが少ないため、私のような品出し兼接客対応のスタッフ3人(自分を含め)と倉庫整理担当のバイトリーダー的な40代ぐらいの人、計4人で売り場を回す。

 

私たち品出し兼接客対応のスタッフは、サービスカウンターやレジのスタッフからの無線を通じて、接客対応を頼まれる。

 

入りたての品出しスタッフが多いため、レジのスタッフからの接客対応の無線を自分一人が高い頻度で反応する。

私自身、新人の2人が無線に反応しないことに何とも思っていない。

 

しかし、バイトリーダー的な40代ぐらいの人が、私に「なぜ二人は無線に反応しないんだ💢」と愚痴をこぼす。 

 

私自身、愚痴を聞かされることは別に構わない。しかし、愚痴を聞かされると、何故か自分も二人に対して、怒りの感情が湧き上がる。「二人が無線に対応せず、仕事をしないのなら、自分もやらない」と思ってしまう。

愚痴を聞かされると、仕事に対するモチベーションが下がってしまうという問題があった。

 

 

以前、「嫌われる勇気」という本を読んだ。そこで「原因論」と「目的論」という考え方が紹介されていた。

 

「愚痴を聞かされて、怒りの感情が湧くため、仕事がしたくなくなる」という思考は「原因論」的であった。

 

「目的論」的に考えれば、「仕事をやりたくなく、仕事をやらない理由の正当化のため、バイトリーダーの愚痴のせいにしていた」のかもしれない。

 

「嫌われる勇気」の思想の基礎となった心理学者アルフレッド・アドラーは「人間の行動には全て目的がある」と言う。

 

怒る前に、出来ないと言う前に、やらない理由を探す前に、

一度立ち止まって、

怒る目的、出来ないと判断した裏に隠された目的、やらないと決めつけた裏に隠された目的を、再確認したいと感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宮台真司さんの高校時代の教育

社会学宮台真司さんの記事を読んで気になった彼の中高校時代について紹介したいと思います。

 

宮台真司さんの紹介

1959年3月3日、宮城県仙台市生まれ。麻布中・高校卒業後、東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。

現在、東京都立大学(旧首都大学東京)の人文社会学部 人間社会学科の教授です。

 

私の大学の社会学の教授が宮台さんの理論を土台にして様々なことを研究していて、彼は社会学者のトップランナーと言っても過言ではない人です。

 

宮台真司さんの中高校時代

宮台さんの中高校時代は、とても今じゃ考えられない環境です。入学してから3年間学園闘争が続いて、実際の授業の半分ほどでした。それにも関わらず、宮台さんの学年は麻布高校の歴史の中で、東大合格者が歴代2位でした。

 

その理由は2つ。

1つ目は、校長の「受験教育をしない」という教育方針。中学3年間で高校二年までの分野をやってしまい、そのあとは大学の教科書を使ってたり、受験と関係ない教員が好きなことだけを教えるという方針でした。国語の時間、自分が見た映画の話を、論理的にする先生もいたそうです。

そうやって、好きなものを教える教師から溢れ出る大学受験教育・勉強で味わえない学ぶことの面白さを感じて、「勉強しないさい」と言われなくても、自分から勉強に勤しみやすい環境を作っていたそうです。

 

2つ目は、勉強できる奴=遊びもできる奴という価値観。一番羽目を外して、一番狂うほど遊ぶやつが、麻布の中で、「一番カッコいい」奴の対象であったため、みんな遊びにも勉強にも熱心な風潮だったそうです。

 

勉強はいい大学に入る為に頑張るのではなく、「かっこいい」とか「面白い」という内発的動機のもとで、勉強に勤しむのがよいと知りました。

 

 

参考記事

宮台真司激白!「劣化した親」が麻布的な男子校の良さを奪っていく

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68256

 

おすすめ記事

https://originalnews.nico/81751

 

行為と行動

「行動」と「行為」の違いが気になったので、

辞書(小学館)で調べてみることにした。

行動とは、

1 あることを目的として、実際に何かをすること。行い。「具体的な行動を起こす」

2 心理学で、外部から観察可能な人間や動物の反応をいう。

行為とは、

1ある意思をもってする行い。「親切な行為」

2 哲学で、目的観念を伴う動機があり、思慮・選択によって意識的に行われる行動。

3 権利の得失・移転など法律上の効果を生じさせる原因となる意思活動。 

 

→どちらとも共通している点は、自分の意思で行うものであったが、「行動」だけは外部からの無意識な反応反射の意味も含まれていた。

 

社会学辞典でも調べてみた。

行動とは、

1条件反射や無意識など自分の意思が伴わない振る舞い

行為とは、

2自分の意思が伴う振る舞い

 

社会学では『行為』と『行動』は分けて考えるのがメジャーであった。

 

そして、「行為」は2つに分けられる。

①社会的行為・・他者を意識した行為

②社会的行為ではない行為・・反対に自分が享楽を得るためにゲームするなど、他者を意識しない行為

 

他者を意識した行為とは、「人を救いたい」という意志を持ち医師の勉強をする行為などあり、「誰かのため」だと思ってやる行為を「社会的行為」と呼ぶ

 

そして、その社会的行為も4つに分類できる。

①伝統的行為・・習慣から生じる行為 

       例)挨拶する・教会に行く

②感情的行為・・感情から生じる行為

       例)怒る・喜ぶ

③価値合理的行為・・自分の信念や価値観よる

          行為

       例)注意する・教える

④目的合理的行為・・目標を設定し達成のため

          の理性的な行為

       例)目的のために学習する

    行動

ー〈       社会的行為ではない行為

    行為〈

                      社会的行為  ー  ①伝統的行為

              ②感情的行為

              ③価値合理的行為

              ④目的合理的行為

           

また、人は①と②の非合理的行為から

     ③と④の合理的行為へと進化すると社会学では考えられています。

 

《考えたこと》

私たちは子どもの時、小学校や中学校で教師によく怒られたが、社会的行為であったのかと疑問に思った。もしかしたら、自分の教師という立場を守るために、言い換えれば、自分のために、叱るのではなく、怒っていたのであれば、「社会的行為ではない行為」であったのではないかと思った。

また、コミュニケーションでも、自慢ばかりする人は、他者のためではなく、自分が満足するために話していて、「社会的行為ではない行為」とも捉えることができる。

 

 

表面的な関係

最近、社会学者の宮台真司さんや土井隆義さんの本とインタビュー記事を読んだ。

共通して書かれていることは、「友達との関係性の変化」についてである。

 

土井さんは、現在、子どもたち間では、友だちとの人間がに繊細なまでに木を配る「優しい関係」が成立していると指摘。これは、相手から反感を買わないようにして、学校という閉鎖的空間の中で生き残る術でもある。ただ、子どもたちは親密に繋がっていたいと常に欲求している。と言う。

 

 

相手との関係が拗れてしまった際、「優しい関係」でいると、関係性が弱いため、相手と距離を取れば、自分が「傷つかない」で済む。

友達は、いつにでも変えるかことができる交換可能な存在になっていると言える。

損得超越した固い絆で結ばれた友達(親友)より、交換可能な友達の方が、傷つかないで、楽で、表層的には充分かもしれない。

 

表層的な関係でつまらない毎日ために、片手にYouTubeがあれば、ほどほどの毎日になるのもかもしれない。

読書の目

ピース又吉直樹YouTubeチャンネル「渦」で、視聴者から送られてきた400文字ぐらいの短い文章を又吉なりの解釈で読み解くという企画がある。

『正月の犯行』(一部抜粋)        「おーい、強盗だ。手を上げろ。動くな、動くなって言ってんだろ、そこの渋谷のスタバにいる奴。この鉄砲でバーンと撃つぞ。・・・俺は今、本州をハイジャックしている。」(ピース又吉直樹YouTubeチャンネル「渦」より)

又吉は髑髏万博という先生に扮して、生徒役の人にこの文章を読み解いた。

この著者は売れない芸人である。ここにおける鉄砲は、彼の武器「お笑い」であり、本州は「お笑い界の天下を取る」ことを意味してる。脅しているのに関わらず、みんな拳銃に怖がらず、動いているところでは、みんな自分のお笑いの面白さを理解してくれてないこと(=拳銃の恐ろしさに怯えない)を表していると妄想的解釈をした。実際に筆者は、まだ世に知られていない芸人であった。

 

ある授業で、生徒役のサルゴリラの児島さんが、「なんで、そんな読み方ができるのか?」と聞いた。

髑髏万博先生は、「何度も同じ本を読んでいるから」と答えた。一度目の読みは、様々な展開が繰り広げられ、感情移入をして、主観的に読めない。二度目は、ストーリーは知っているが、新たな発見が出てくる。三度目は、二度目の発見を踏まえた上で読み、客観的な新たな読み方できる。

何年も日常的に再読を行なっていると、一度目の読みで、一度目と二度目と三度目の読みの3つの視点を同時に持てるようになり、一回読むだけ3つの視点(三度目分)の様々な解釈ができるようになると言っていた。

 

視点を増やす(育てる)ことで、本の解釈が広がる。

自分は読解するのが上手でないので、髑髏万博先生の言ったことを素直に真似してみたい。

 

 

ハイジャックの話の回 

https://youtu.be/rciq-ncK87k

読解方法の話がされる回(終盤の方)

https://youtu.be/6Zi4fWdYFAA

 

 

目的と手段

「目的と手段」という言葉をよく聞く。目的はゴールであり、手段は方法と説明され、納得はするが、だから何となってしまう。ましては、本当に理解したとは言えない。

行為や習慣に「目的と手段」の意味づけを行うことは、難しいというわけではないが、それを忘れないようにするのがとても大変である。

このブログを書いているのも、多くの人に見てもらいたいから、書いているのではない。もしそうなら、とっくに辞めている。書く目的が明確にあって、書いている。考えをまとめて書くという行為によって整理するという目的で書いている。

目的は考えをまとめるために文章を書いていて、その手段としてブログを使っている。その目的と手段を生活の中でいつのまにか忘れしまうことがある。

そのために、「目的と手段の明確化」が必要になる。この「目的と手段の明確化」ができるようになれば、感情に振り回されず、モノに溢れず、欲張らないようになる。

 

生活の中で、「目的と手段の明確化」を少しずつ実践した。まず部活を辞めた。週3回往復4時間かけて1時間の稽古に通っていた。自分の時間を確保して、新しいことをやるための手段として退部することにした。辞めると決めた日から、なんて言って辞めるかばかり考えていた。

しかし、「自分の時間を確保する」ことが目的であり、その「手段」としての「退部」のことについて考えていた。悩むべきことは、確保した時間をどう使うかであるはすだった。目的と手段がこんがらがってしまった。退部という決断に、感情が振り回されて、盲目的になってしまった。

そのためにも、普段の生活で「目的と手段」を意識していきたい。

 

 

言葉選び

ぽる塾のYouTubeチャンネルを観た。

ぽる塾のYouTubeチャンネルは、吉本興行所属の女性三人組のお笑い芸人のYouTubeに開設されているチャンネルである。

私が観た動画は、3人で1泊2日の日光の歴史的観光地を旅をするという内容であったが、彼女らはずっと何か口にしていた印象である。華厳の滝より、華厳の滝の近くの売店を後ろに湯葉コロッケを食べる映像の方が長かった。

 

動画の半分を占める食事シーンの会話や3人の関係性が薄っすら窺える車内の会話が、私の心には、なぜか沁みた。

 

少し毒舌のあんりちゃんは、会話(コミュニケーション)の対応というか、場の作り方がとても上手で、2人が喋りやすい雰囲気を作っている。彼女は自分の価値観を絶対に押し付けるような発言をしなかった。

元OLの田辺さんは、好きな物の話になると急に熱くなるところがある。東照宮の有名な門の前で、甘酒を飲みながら、自分の好きな甘酒の熱い話をする。その際も、あんりちゃんが、田辺さんの熱い話を優しくフォローする。

あんりちゃんと幼馴染のはるかちゃんは、ぽる塾の中で、リーダー的な存在だが、一番ふわふわしている不思議な人である。

 

彼女らの旅を観ていて思ったのは、3人は常に自分でありながら、自分の価値観を押し付けたり、否定することなく、会話の言葉選びがとても最適だった。

 

自分の話に大きく逸れるが、私は会話の中で、「意外ですね!」という言葉を使う。ただ、この言葉は、自分の価値観を押し付けてしまう言葉でもあると感じた。私自身、相手に前向きなリアクションする言葉として使い、驚嘆の思いを示して、その話をもっと聞きたいと思わせる言葉として選んできた。

「意外」か「意外ではないのか」は、自分の中の問題であり、事実ではない。

相手が私に新しい一面を見せてくれた際、「意外だわ」というリアクションは、相手を少し冷めさしてしまうことがある。「意外ですね」は詰んでいる言葉かもしれない。

 

ぽる塾の旅は、相手を冷ましたり、場を盛り下げてしまう、良かれと思って言った発言がなく、言葉選びがとても優しくて、ストレスフルな旅であったと感じた。